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大阪地方裁判所 昭和53年(ワ)4738号 判決

原告 高銀桂

原告 玄貞烈

右両名訴訟代理人弁護士 宇賀神直

同 蒲田豊彦

同 藤井光男

被告 大阪市

右代表者市長 大島靖

右訴訟代理人弁護士 前田利明

主文

一  被告は、原告高銀桂に対し、金四八二万二七五七円及び内金四四二万二七五七円に対する昭和五三年六月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告玄貞烈に対し、金四六七万二七五七円及び内金四二七万二七五七円に対する右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二〇分し、その一三を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。ただし、被告が原告らに対し各金三〇〇万円の担保を供するときは、当該原告の右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告高銀桂に対し、金一三五三万八七八七円及び内金一二七八万八七八七円に対する昭和五三年六月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告玄貞烈に対し、金一三〇三万八七八七円及び内金一二二八万八七八七円に対する右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の発生

訴外高邦勲(以下「邦勲」という。)は、昭和五三年六月三日土曜日午後四時ころ、大阪市東区所在の大阪城公園内北方外濠(以下「本件外濠」という。)の北側(外側)の東端から約一五一メートル西方の地点において、ザリガニを取ったあと、水面から高さ約一・五メートルの同外濠の石垣を登ろうとした際、手をすべらせて、同水面下(深さ約一・五メートル)に後向きに転落し、石垣の方へ泳ごうとしたが、藻に足を取られて泳げなかったことと、元来さして泳ぎができなかったことから、石垣とは逆に濠の中央の方に流されて沈み、溺死するに至った(以下「本件事故」という。)。

2  被告の責任原因

(一) 被告は、都市公園法、大阪市公園条例に基づいて、大阪城公園を設置し管理している。

(二) 本件事故は、本件外濠に対する被告の管理に次のような瑕疵があったために発生したものである。

すなわち、本件外濠の水深は、石垣に近いところで約〇・七ないし二メートルにも及び、深いところでは数メートルもあり、また、同外濠付近は、釣りをする者が多く、小学生などが魚釣り、ザリガニ取りをすることもあり、特に土曜、日曜には多数の子どもたちが同外濠で魚釣り、ザリガニ取りをして遊んでいたのであるから、右子どもたちが水中に転落し、ひいては溺死する事故の発生する危険が存在していたものであり、したがって、これを防止するため、被告としては、柵などを設けて本件外濠への立ち入りを禁止する措置を講ずることが必要であったというべきところ、被告は、昭和四四、五年ころ、本件外濠の石垣の上に有刺鉄線を設けたのみであり、しかも、その後、右有刺鉄線の一部が破損したり、又は、腐っていたりしていたにもかかわらず、何ら補修をせず、そのまま放置し、そのため、邦勲が本件外濠に入り、溺死したのであるから、本件外濠の管理に瑕疵があったというべきである。

よって、被告は、本件事故による後記損害を賠償する義務がある。

3  損害

(一) 邦勲の逸失利益

邦勲は、本件事故当時九才であるので、本件事故がなければ一八才から六七才までの四九年間稼働できたのであり、その間毎年少なくとも、昭和五〇年度賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計の男子労働者の平均給与額に賃上部分として五パーセントを加算した金二四八万九三四〇円の収入が得られたはずである(((一五万〇二〇〇×一二+五六万八四〇〇))×一・〇五)。そこで、右金額から二分の一の生活費を控除し、ライプニッツ方式によりライプニッツ係数一一・七一二を乗じて中間利息を控除すると、邦勲の逸失利益は金一四五七万七五七五円になる。

(二) 邦勲の慰藉料  金一〇〇〇万円

(三) 原告両名による相続

原告らは、邦勲の父母であるから、邦勲の有していた右(一)、(二)の損害賠償請求権を各二分の一あて相続により取得した。

(四) 葬式料

原告高銀桂は、邦勲の葬式料として、少なくとも金五〇万円の支出をした。

(五) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟の提起、遂行を弁護士宇賀神直、同蒲田豊彦、同藤井光男に委任し、右三名に対する報酬として原告らそれぞれ金七五万円あて支払う旨約した。

よって、被告に対し、国家賠償法二条一項に基づき、原告高銀桂は、前記損害合計金一三五三万八七八七円及びこれから弁護士費用の損害を控除した内金一二七八万八七八七円に対する本件事故発生日である昭和五三年六月三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告玄貞烈は、前記損害合計金一三〇三万八七八七円及びこれから弁護士費用の損害を控除した内金一二二八万八七八七円に対する右同日から支払ずみまで右同率の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、邦勲が原告ら主張の日時に本件外濠に転落し、溺死したことは認めるが、その余は否認する。

邦勲の転落箇所は本件外濠の東端から約一四三メートル西方の地点であり、右地点の石垣は本件事故当時水面から約二・六メートルの高さで、水深は〇・五メートルであった。

邦勲は、石垣を伝ってその下方に降り、水面近くで片手で石垣につかまりながら、もう片方の手をのばしてザリガニを取っていたところ、手をすべらせて水中に転落したものである。

邦勲は、身長一・二八メートルであるから、前記水深からすれば十分に背を立たせることができたのであり、転落箇所で溺れることは考えられず、また、転落箇所には藻は生えていないから、藻に足が取られて溺れることもありえない。さらに、本件外濠自体には水の流れはなく、風による水面の流れがあったとしても、本件事故当時の風向きからすれば濠の中央から石垣の方に向かう流れであったとみられるから、水に流されて濠の中央の方へ運ばれるということもありえない。

邦勲は、転落後背を立たせて直ちに石垣をよじ登ることができたのだが、石垣の上にいた友人に「泳げ。」と言われたため、おそらくは照れ隠しということもあって泳ぐ必要もないのに自らの意思で濠の中央に向かって泳ぎ出し、石垣から二五メートル離れた濠の中央寄り、水深三メートルの地点で溺死したものである。したがって、自ら泳いだことと溺死との間に相当因果関係はあるとしても、転落と溺死との間には相当因果関係はなく、そうである以上、仮に管理に瑕疵があったため転落したとしても、右瑕疵と溺死との間にも相当因果関係はない。

2(一)  同2(一)は認める。

(二) 同(二)のうち、石垣に近いところでの水深が約〇・七メートルに達することがあること及び被告が昭和四五年に有刺鉄線を設けたことは認めるが、その余は争う。

(三) 国家賠償法における公の営造物の管理については、およそ想像しうるあらゆる危険の発生を想定して、これを防止できる設備を設けることまで必要とするのではなくして、当該営造物の構造、用途、場所的環境、利用状況等、諸般の事情から、具体的に通常予想されうる危険の発生を防止するに足りると認められる程度のものを設けることをもって足りるとするものである。以下の事情を右基準に照らして考えれば、本件外濠に管理の瑕疵が存在しなかったことは明らかである。

(1) 大阪城公園は、本件外濠、石垣も含め、大阪城の城跡一帯が特別史跡に指定されており、また、大阪城公園内の大手門、櫓、塀等は重要文化財に指定されている。その設置目的は、国民に観賞の対象として提供することにあり、一般の観賞者は、大阪城公園内に設けられている園路を通行して、濠、石垣、大手門、塀、櫓、天守閣等の景観を楽しむことになっている。

(2) 大阪城公園の設置、管理は、昔の姿のままで保存すること、すなわち、現状不変更を眼目として行なわれるのであるから、徒らに昔時の景観を台なしにするような危険防止設備等を設けることは、文化財保護の趣旨に反して許されない。もっとも、特別の危険が予想されるような場合は、囲柵、その他の施設を設置する必要があろうが、その場合でも、設置にあたっては、史跡の管理のため必要な限度に留め、しかも環境に調和することが要求され(史跡名勝天然記念物標識等設置基準規則五条、六条)、また、設置により現状を変更することになれば文化庁長官の許可を受けることが要求され(文化財保護法八〇条一項)、文化庁長官は現状変更等を必要とする理由等と現状変更等の内容等を勘案して許可を決定することとなっているのである。

右のように、史跡等については現状不変更が原則であって、現に、金閣寺の庭園の鏡湖池、竜安寺の石庭の鏡容池、西芳寺の庭園の池等にも、また、市街地にある二条城の外濠、同じく姫路城の外濠にも危険防止設備は設けられていない。更に、大阪城公園に類似した環境にある松本城にも、容易に濠に近づけるところが少なくないが、柵などの設備もなく、また、濠への転落、水死事故もない。

(3) 被告は、本件外濠付近一帯に修景用としてウバメガシの植樹帯を右外濠の石垣から約〇・七メートル離れたところに設置し、また、昭和四五年から有刺鉄線を原則として右ウバメガシの植樹帯の切れ目の空間のところどころに設置していたが、その設置目的は、特別史跡である本件外濠及びその石垣を保護するために石垣付近への立入禁止の趣旨を表示するにある。そして、観賞者の通行する園路は、右植樹帯から約一〇メートル離れたところに設けられているのだから、右観賞者が右有刺鉄線や植樹帯を乗り越えて右石垣に近づくことは全くありえないことであり、通常予想もできないことである。

ところで、観賞者等の公園利用者がわざわざ石垣を降り、ザリガニ取りをしたり、泳いだりすることは通常予想しえないから、本件外濠は危険の予想される場所ではなく、危険防止のための設備を特に設ける必要はないが、特別史跡保護のために設けられた前記有刺鉄線等は、立入禁止を表示することにより、ひいては、付随的に、転落の危険防止の役割をも果たしている。もっとも、右立入禁止の表示を無視して侵入する者を物理的に阻止することまではできないが、通常予想される立ち入りは、すべて右設備でもって防止できるのである。

右有刺鉄線につき、原告らは、これを破損ないし腐蝕したまま放置していたと主張するが、被告の職員は破損箇所を発見する都度その二日後くらいには修理をしており、本件事故当時においても、破損等していたことはないものである。

(4) 本件外濠付近は子どもの遊び場ではなく、現に遊んでいる子どももいない。被告は、本件事故現場から約三〇〇メートル離れたところにある太陽の広場という広場の南側に遊戯の道具などを備えつけて子どもの遊び場を設けており、一般に子どもらはここで遊んでいるのである。また、被告は、大阪市内に、一般公園五八〇箇所を設置し、邦勲の自宅付近や通学している小学校付近にも数多くの公園を設置し、これらをすべて子どもの遊び場に開放しているのである。

したがって、子どもらが本件外濠で遊ぶことは被告には通常予想できないことである。もっとも、邦勲を含むごく一部の常連の子どもがザリガニ取りにたまに来ることがあるが、大阪城公園事務所職員は、これを発見する都度、石垣、濠等の保護のため、警告をしている。

(5) また、被告の調査によれば、大阪城公園内にある濠において、溺死等した例は、昭和四九年以降、本件事故を除き、一件もないものである。

以上述べたことからして、本件外濠に管理の瑕疵がなかったことは明らかであり、邦勲のように、わざわざ石垣を降り、転落の危険に身をさらしたうえ、転落し、その結果泳いで溺死するという稀有の場合まで想定して、この危険の発生を防止できる設備を設けるまでの義務は被告にはない。

3  同3のうち、邦勲が本件事故当時九才であったこと及び原告らが邦勲の父母であることは認めるが、その余は争う。

三  抗弁

邦勲は、本件事故当時既に小学校三年生であって事理を弁識する能力があったにもかかわらず、有刺鉄線やウバメガシの植樹帯によって立入禁止を表示している本件外濠に不法に侵入し(文化財保護法違反の疑い)、おそらくは販売の目的でザリガニを取り(大阪市公園条例違反)、そのうえ本件外濠で遊泳行為まで敢行したものであって、その過失は大きく、また、原告らについても監督責任を怠った過失があるので、損害額の算定にあたっては、これらの過失を斟酌すべきである。

四  抗弁に対する認否

邦勲が小学校三年生であったこと、本件外濠でザリガニ取りをしていたことは認めるが、その余は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  邦勲が、昭和五三年六月三日土曜日午後四時ころ、本件外濠に転落し、溺死したことは当事者間に争いがない。

二  被告は、本件事故当時の転落地点の水深と邦勲の身長との対比、転落地点に藻が生えていないこと、濠の中央に向かう水の流れはなかったことなどを挙げて、邦勲は、足を藻に取られるなどして溺死したものではなく、自らの意思で濠の中央に向かって泳ぎ出したために溺死したものであり、したがって、転落と溺死との間には相当因果関係はない旨争うので、まずこの点につき判断する。

前記争いのない事実及び《証拠省略》を総合すると、本件事故当時の転落地点の水深は、〇・五メートル位であり、石垣から一メートル濠の中央寄りの水深は、〇・七メートル位であったこと、その水底はヘドロ状であり、また、藻も生えていたこと、邦勲の身長は、一・二八メートル位であったこと、邦勲は、本件外濠(幅約七〇メートル)の北側東端から右外濠の石垣に沿って西方約一四六メートルの地点にある石垣のところで友人の林常一、林常彦、鄭信幸らとザリガニ取りをしていたのであるが、片手で上部の石垣をつかんで降り、下方の石垣の凹んだ部分に両足をかけながらもう片方の手で網を持ってザリガニを取ったあと、石垣を登ろうとしたときに足をすべらせて後向きに本件外濠の水面下に転落したこと、転落した邦勲は仰向けになりながら石垣の方に近づこうと手足をばたつかせ、友人の林常彦が助けようとして差し出したザリガニ取り用の網の柄に一旦は手をかけながら、すぐに放してしまい、次第に石垣から離れながら沈んで行き溺死するに至ったこと、溺死体は石垣から濠の中央に向かって約一七ないし二〇メートル離れた地点で同日午後五時五〇分ころ発見されたこと、邦勲は、泳ぎは不得手であったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定事実によると、単純な計算を用いれば、邦勲は、本件外濠に転落した後、立つことができたもののようにみられなくもない。しかしながら、水底がヘドロ状であり、また、藻も生えていること、邦勲は泳げないこと、そのうえ、後向きに転落という予期しない突発的な出来事のために、気が動転し、冷静さを欠くに至り、あわてて手足をばたつかせているうちにかえって石垣を離れて深みに向かい遂に沈んで溺死したものと推認されるのであるから、転落と溺死との間に相当因果関係が認められることは明らかといわなければならない。

被告は、前記のとおり、邦勲が自らの意思で泳いだために溺死したものであると主張し、《証拠省略》中には被告の右主張に沿う部分もあるが、右証言は、直接自己の目撃したことを述べたのではなく伝聞ないし推測にすぎないものであるから、にわかに措信し難い。また、さきの認定の資料とした各証言によれば、友人の一人が邦勲に泳げと命じたことが認められるけれども、それは前記認定の事情に照らすと、被告主張のような、濠の中央への遊泳を指示したものではなく、石垣の方へ近づくように指示したものとみるのが相当であるし、また、邦勲が友人の指示に従ってあるいは指示とは逆に濠の中央に向かって泳いだようなことは、これを認めるに足りる証拠がないばかりでなく、前記認定の邦勲が濠に転落した事情や泳ぎが不得手であったことからすれば、経験則上も考えられないことである。さらに、邦勲の溺死体が発見されたのが石垣から約一七ないし二〇メートル離れた濠の中央寄りであったことも、さきに認定した邦勲の水中での動きや、本件外濠に本件事故当時全く水の流れがなかったかどうか証拠上必ずしも明確でないことからして、被告の右主張を裏づけるものとは考えられない。

したがって、転落と溺死との間に相当因果関係がないとする被告の主張は理由がない。

三  そこで次に、本件外濠の管理に瑕疵があったかどうかについて判断する。

被告が、都市公園法、大阪市公園条例に基づいて本件外濠を含む大阪城公園を設置し管理していることについては、当事者間に争いがない。

前記二における認定事実及び《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

1  大阪城公園は、総面積一〇三万〇六三九平方メートルを有するところ、そのうちの七三万三四五八平方メートルにあたる本件外濠を含む大阪城跡が文化財保護法六九条二項に基づく文化財保護委員会告示第四六号により昭和三〇年六月二四日付けで特別史跡に指定されており、また、大阪城公園内の建造物である大阪城一三棟(大手門、塀、櫓等)は、同法二七条一項に基づく同委員会告示第七〇号により昭和二八年七月二八日付けで重要文化財に指定されている。

2  大阪城公園内には、通行用の道路として園路が設けられており、本件事故現場付近にも、本件外濠の約一〇・七メートル北側に園路がある。もっとも、右園路とその南側の空地とは、地表と殆んど高低差のないコンクリート製縁石によってその区分が表示されているにとどまるので、南側の空地(すなわち、園路から本件外濠に至るまでの空間部分)は自由に通行できる状況にある。

3  本件外濠は、大阪城跡の北側にあって、石垣で囲まれているが、北側(外側)の石垣は約二メートル、南側(内側)の石垣はそれよりさらにずっと高くなっており、北側の石垣の勾配は水面に対してほとんど垂直の角度である。そして、邦勲が本件事故の際つかまっていたあたりの石垣は幅一・三メートルにわたりその左右の石垣と比べて約〇・二五メートル凹んでいる。その凹みから真下の水底までは約三メートルあり、凹みの真下の水深は通常は約〇・五ないし〇・七メートルであって、水深は濠の中央に向かって次第に深くなっており、石垣から五メートル離れたあたりでは三メートル余ある。また、濠の幅は約七〇メートルである。

4  大阪城公園のうち本件外濠付近が被告の大阪市東部方面公園事務所の管理するところとなったのは、昭和四五年ころからであり、被告は、特別史跡である本件外濠及び石垣を保護するために立入禁止を表示するものとして、このころ本件外濠に沿って高さ約一メートルの棒杭に有刺鉄線を張った柵を、昭和四九年を過ぎたころ本件外濠に沿った一部の地域の石垣から約〇・七メートル離れたところに右柵に加えて幅約〇・九ないし一メートル、高さ約一・二メートルのウバメガシの生垣を、それぞれ設置した。しかし、右ウバメガシの生垣は、本件事故現場のあたりでいえば、これを中心として西方約二五メートル、東方約二八メートルまでしかなく、しかも、そのところどころに幅約〇・五ないし一・三メートルの切れ目があり、前記転落地点の凹んだ石垣のすぐ北にも幅約〇・五メートルの切れ目があった。また、前記柵の有刺鉄線はペンチで切られるなどして破損されることが多く、被告は、以前は破損を発見する都度修理していたけれども、修理してもすぐ破損されるという状況が続いたので、昭和五一年度には右有刺鉄線にかえて本件外濠の西端から本件事故現場の約一二〇メートル西のあたりまでの間連続して高さ約〇・九メートルの鉄柵を設けるに至ったが、右鉄柵の東端から東方については、その後も、有刺鉄線の修理が十分にされないままであって、本件事故当時、本件事故現場付近の一連のウバメガシの生垣の東の端から東方は前記有刺鉄線の柵がところどころに残存しているにとどまり、その残存部分もかなり老朽化していて有刺鉄線を張ってある棒杭が倒れかけあるいは倒れているものさえあった。右一連の生垣の西の端から西方、前記鉄柵の東端までも、前記有刺鉄線の柵が残存しているところはわずかしかなかった。また、前記生垣の切れ目には、本件事故当時には有刺鉄線はなく、転落地点の凹んだ石垣のすぐ北の切れ目にも、本件事故当時有刺鉄線はなかった。したがって、本件事故当時、本件事故現場付近では、自由に本件外濠の縁まで近づきうる状況にあった。

なお、本件事故後、前記鉄柵の東端以東にも高さ約〇・九メートルの鉄柵が設けられ、現在は、右鉄柵を乗り越えなければ本件外濠には近づけないようになっている。

5  大阪城公園には、子どもの遊び場所として本件事故現場から約三〇〇メートルの距離のところに太陽の広場という広場が設けられており、多くの子どもたちはここで遊んでいる。しかし、本件外濠もまた、土曜、日曜になると子どもたちが濠の浅いところあるいは濠の砂洲のところに降りるなどしてザリガニ取りをする遊び場所となっていたものであり、さらには、本件外濠で魚釣りをする大人もかなりいた。これらの者に対しては、被告職員がたまたま見かけたときに時折口頭で注意することがあったが、効果はほとんどなかった。本件外濠周辺には本件事故当時危険防止や動物捕獲禁止等の立て札はなかったし、他に右の魚釣りやザリガニ取り等の行為を防止するための特別の対策はとられなかった。

6  現在に至るまで、本件外濠で転落かつ溺死した子どもは、邦勲を除いては一人もいない。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、国家賠償法二条一項にいう営造物の管理に瑕疵があったとみられるかどうかは、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮し、通常予想しうる危険に対して安全なものであったかどうかを具体的個別的に判断すべきである。そこで、これを本件についてみるに、濠は、元来、城を外敵から守るために設けられた施設であり、それゆえに本質的に転落の危険性や転落した場合に溺死する危険性をはらんだものといえるが、前記認定事実によれば、本件外濠も、その例に洩れず、石垣は垂直状で水底まで約三メートルあり、水深も石垣直下で深いところは約〇・七メートルあり中央に向かうにつれて次第に深くなり石垣から五メートル離れたあたりで三メートル余もあり、かつ、水底はヘドロ状で藻も生えている。しかも、前記認定事実によれば、本件外濠は、大阪城公園の一部をなしており、多数の者が観賞のために近寄りあるいは近くを通行することが予定されているとみられるのである。のみならず、前記認定事実によれば、本件外濠では、これは本来本件外濠の公園施設としての用法ではなく、のちにみるとおり法規によって禁止された行為でもあるけれども、魚釣りやザリガニ取りが、本件事故当時の少くとも土曜、日曜には常態化していたとみられるのである。そうだとすると、右の観賞者や通行人が例えば酔余近づき転落溺死するようなことも無きを保し難いのみならず、右の魚釣りやザリガニ取りに来た者特に年少者が誤って本件外濠に転落し足を藻にとられ、深みにはまるなどして溺死することも十分ありうるものといえ、これらは通常予想しうる危険であるということができる。したがって、被告としては、右危険を防止するに足りる設備を設けることが必要であるといわなければならない。

被告は、本件外濠は大阪城跡という特別史跡の一部であるから、現状変更が許されず、したがって、特別の危険が予想される場合以外は、景観を無にするような危険防止設備を設けることは、文化財保護の趣旨に反して許されないと主張する。確かに、特別史跡などの文化財は、わが国の歴史、文化等の正しい理解のために欠くことのできない貴重な国民的財産であるから、その管理にあたっては、これを公共のために大切に保存するよう努めるとともに、できるだけこれを公開する等その文化的活用に努めなければならず、したがって、特別史跡の管理に必要な囲柵などの施設も、史跡全体の風致・景観を無にするものであったり、国民を史跡から遠ざけるものであったりしてはならず、管理のために必要な程度のものであって、かつ環境に調和するものでなければならない(文化財保護法七二条一項、史跡名勝天然記念物標識等設置基準規則六条、五条参照)。しかし、だからといって、その特別史跡の一部である営造物が人命に対する危険性を包蔵している場合にも、その危険を防止するための施設の設置が不必要だとか許されないとかいうことができないことは、人命が何ものにも代え難い価値であることからして当然といわなければならない。また、本件外濠は大阪城公園の一部であり、大阪市公園条例三条五号、一九条一号及び《証拠省略》によれば、本件外濠で魚釣りやザリガニ取りなどの動物捕獲行為をすることは禁止されていて、これに違反した者は一万円以下の過料に処せられることになっているところから、被告は、公園利用者が右のような動物捕獲行為をすることは通常予想しえないし、また、さきに認定したとおり、大阪城公園には別に太陽の広場という子どもの遊び場所が設けられているし、《証拠省略》によれば、邦勲の自宅付近にもいくつか公園があることが認められるところから、子どもらが本件外濠を遊び場所とすることも通常予想しえないと主張する。しかし、一般の公園利用者といえども濠の縁に立ち寄ることは十分予想されうる行為であるし、さきに認定したとおり、本件外濠での魚釣りやザリガニ取りは前記法令による禁止や他の遊び場所の存在にもかかわらず現実には本件事故当時の土曜、日曜には常態化していたのであるから、これらの者が本件外濠に転落し溺死する危険は、被告にとって通常予想しえたものといわなければならない。

ところで、本件外濠への転落、溺死の危険を防止するためには、本件外濠ないしその縁への立ち入りを防止する措置を講ずることをもって十分とするものであるが、その措置の内容は、およそ、あらゆる態様の立入行為を絶対的に阻止するに必要な設備、例えば、数メートルもの高さのあるフェンスといったものを設けることまで要するものでないことはいうまでもないけれども、前述の本件外濠の構造、場所的環境、公園施設としての用法、本件事故当時の現実の利用状況など諸般の事情を考慮して、本件外濠ないしその縁への立ち入りを防止するのに十分なものと客観的にみられるような設備を設けることが必要であるとともにそれをもって足りるものというべきである。したがって、その設備は、例えば、本件事故後設置されているような高さ一メートルに満たない鉄柵でもよいであろうし、あるいは、本件外濠の縁から不測の転落事故を防ぐだけの一定の距離を置いたうえでなら更に低いななこ垣(波垣)でも足りるであろうが、本件外濠に沿って連続して設けられ、本件外濠ないしその縁への立ち入りが危険であり、許されないものであることを明示するものでなければならない。そして、その程度の設備であれば、これを設けることが前述の文化財保護の趣旨に反するものとは考えられない。

そこで、本件外濠につきこれないしその縁への立ち入りを防止するのに十分なものと客観的に認められる設備が設けられていたかどうかをみてみるに、前記事実関係によれば、まず、本件外濠近くの園路は、これから南側外濠の方へは自由に通行できる状況にあったから、全く右の立入防止の役割は果たしておらず、鉄柵は、本件事故当時は本件事故現場の約一二〇メートル西のあたりから西方に設置してあったにとどまり、ウバメガシの生垣も同様本件外濠の周囲の一部に植樹されているにとどまり、かつ、そのところどころには人が十分通れる程度の切れ目が存在していたのであり、有刺鉄線は一部が残存するのみでしかもそれも老朽化しており、中にはそれを張ってあった棒杭が倒れかけ、あるいは倒れていたものさえあったのだから、これらの設備も、本件外濠ないしその縁への立ち入りを現実に防止しあるいは禁止の趣旨を明示していたものとはみ難いし、本件外濠周辺には本件事故当時危険防止や動物捕獲禁止等の立て札はなく、しかも、本件事故当時は、現に、土曜、日曜には本件外濠でザリガニ取りをして遊ぶ子どもらや魚釣りをしていた大人らがかなりいて、これに対する厳しい取締りもされていなかったのであるから、右各設備を総合して考慮してみても、人が本件外濠ないしその縁に立ち入ることを防止するに十分なものと客観的に認められる設備が設けられていたものとみることはできない。

そうだとすると、被告の本件外濠の管理には瑕疵があったものといわなければならない。

したがって、被告は、原告らに対し、本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

四  《証拠省略》によれば、邦勲及び原告らはいずれも朝鮮国籍であることが認められるところ、国家賠償法六条は、同法は外国人が被害者である場合には、相互の保証があるときに限りこれを適用する、と規定しているので、この点について付言する。右規定の文言からすれば、相互保証のあることは、国家賠償請求の請求原因事実であり、それゆえに原告が主張、立証責任を負う事柄のようにみえる。しかし、国家賠償法二条は、民法七一七条と趣旨を同じくする規定であり、仮に前者が存在しなくても、土地の工作物の管理者である国又は公共団体は後者により損害賠償責任を負うのであり、また、民法七一七条は、民法二条により、法令又は条約に禁止がある場合以外は、外国人にも適用されるのであるから、国家賠償法二条も、外国人にも適用されるのが原則であって、ただ、同法六条が存在するため、被害者が外国人の場合には、相互保証のないときは、例外的に、同法二条の適用が排除されることとなるものと解すべきである。すなわち、同法六条は、原則規定である同法二条の例外規定をなすものと解すべきである。

したがって、国家賠償法二条に基づく請求訴訟にあっては、同法六条の規定の文言にもかかわらず、被害者が外国人であり、かつ、相互保証がないことは、抗弁事実として、被告においてこれを主張、立証しなければならないが、本件では、被告は、相互保証がないことの主張、立証をしていないから、同法二条に基づく責任を免れない。

五  そこで次に、損害について判断する。

1  邦勲の逸失利益

邦勲が本件事故当時九才であったことは当事者間に争いがなく、邦勲は本件事故がなければ、一八才から六七才まで稼働し、その間毎年収入を得られたことを推認できるところ、昭和五四年度賃金センサス第一巻第一表によれば産業計、企業規模計、学歴計の男子労働者の年間平均給与額は金三一五万六六〇〇円(二〇万六九〇〇×一二+六七万三八〇〇)であるから、これを基礎として、右金額から生活費として五割を、ライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息をそれぞれ控除して、逸失利益の現価を求めると、金一八四八万五〇四九円(三一五万六六〇〇×〇・五×((一八・八一九-七・一〇七))となる。

2  葬儀費用

《証拠省略》によれば、同原告は、邦勲の葬儀費用として約金八〇万円を支出したものと認められるところ、邦勲の死亡当時の年令等を考慮すると、本件事故と相当因果関係を有する葬儀費用支出の損害は、金五〇万円とするのが相当である。

3  過失相殺

前記のとおり、本件外濠は、特別史跡である大阪城跡の一部として、本来その景観を楽しむべき場所であって、ザリガニ取りなどをして遊ぶようなところではなく、ここでの動物捕獲行為は大阪市公園条例で罰則をもって禁止されているうえ、大阪城公園には子どもの遊び場所として太陽の広場が設けられており、また、邦勲の自宅付近にもいくつかの公園が設けられていて、遊び場所に欠くことはなかったのに、敢えて邦勲は転落溺死の予想される本件外濠に立ち入ったのであり、しかも、手足がすべったりなどしてバランスを崩せば容易に転落するという極めて危険な態様で遊んでいたのであるから、邦勲にも、本件事故発生につき、重大な過失があったことは明らかである。そしてまた、監督責任者たる親に対しては、子どもの遊び場所を把握し、もしそれが危険な場所であれば遊ばないよう注意することがその責任内容として要求されるものであるところ、《証拠省略》によれば、原告らは、邦勲が本件外濠でザリガニ取りをして遊んでいたことを知らなかったことが認められるから、遊び場所を把握し、その監督をつくすべき責任を怠った過失があるといわなければならない。したがって、邦勲らの損害額算定にあたっては、右邦勲及び原告両名の過失をも斟酌すべきであり、その相殺すべき過失割合は七割とみるのが相当である。そうすると、前記1、2の過失相殺後の金額は、1は五五四万五五一四円、2は一五万円となる。

4  邦勲の慰藉料

邦勲はその死亡の際多大な精神的苦痛を受けたことが推認されるが、本件事故の態様及び邦勲の前記過失を考慮すると、その精神的苦痛に対する慰藉料としては金三〇〇万円が相当である。

5  相続

原告らが邦勲の父母であることは当事者間に争いがないから、原告らは、邦勲の前記損害賠償請求権を各二分の一ずつ相続したことになり、その額は、各金四二七万二七五七円となる。

6  弁護士費用

《証拠省略》によれば、原告らは、本件訴訟の提起、追行のために、弁護士宇賀神直ら三名を選任し、その訴訟追行等を委任し、相当額の報酬の支払を約していることが認められるが、本件事案の内容、本件訴訟の経緯、認容額等に鑑みると、原告らが本件事故による損害として被告に請求しうる弁護士費用の額は、各金四〇万円と認めるのが相当である。

六  よって、原告高銀桂の本訴請求は、金四八二万二七五七円及び内金四四二万二七五七円に対する本件事故発生日である昭和五三年六月三日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、原告玄貞烈の本訴請求は、金四六七万二七五七円及び内金四二七万二七五七円に対する前同日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行及びその免脱宣言につき同法一九六条一項、三項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 露木靖郎 裁判官 後藤邦春 山田俊雄)

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